そして晩秋。
ジャック・ケルアックの著書『オン・ザ・ロード』で強烈なインパクトを与えたディーンのモデル、ニール・キャ サディを描いた映画『死にたいほどの夜』が公開されました。冬には、アメリカン・ブックジャムから“The Slicee of U.S.A.”という別冊を出すことになり、そこための広告営業のために、トランジスターは『死にたいほどの夜』の映画の宣伝会社にコンタクトを取る事になりました。そこで YBOKの原書の編集者で版権者でもあるティモシー・モランさんに出会ったのです。
This is radio transistor2
2011年1月1日土曜日
パンとアレンと死にたいほどの#2
そしてこの年の春も深まり始めた4月。
ビートのボム、アレン・ギンズバーグが亡くなりました。6月に六本木のバーでギンズバーグを忍ぶ会が開かれ、 そこでトランジスターは、YBOKのもう一人の翻訳者、詩人のヤリタミサコさんと出会いました。会ったとたん目と目がスパークする出会い、その場で意気投合したそうです。これがビートなる出会いというのかもしれませ んね。
このときのことは、ヤリタミサコさんが著書『詩を呼吸するー現代詩・フルクサス・アヴァンギャルド』(水声社発行)やYBOKのあとがきにも書いてい ただいています。
ビートのボム、アレン・ギンズバーグが亡くなりました。6月に六本木のバーでギンズバーグを忍ぶ会が開かれ、 そこでトランジスターは、YBOKのもう一人の翻訳者、詩人のヤリタミサコさんと出会いました。会ったとたん目と目がスパークする出会い、その場で意気投合したそうです。これがビートなる出会いというのかもしれませ んね。
このときのことは、ヤリタミサコさんが著書『詩を呼吸するー現代詩・フルクサス・アヴァンギャルド』(水声社発行)やYBOKのあとがきにも書いてい ただいています。
パンとアレンと死にたいほどの#1
最初の出会いは97年の早春。
当時の私は雑誌『アメリカン・ブックジャム』 の東京オフィスで副編集長をしていました。そこへYBOKの翻訳者のひとり、前田美紀さんが 創刊号を編集部に直接買いに来てくれたのです。
そのとき前田さんがたまたま持っていたパンを私があまりにもひもじそうだったので、(胃で物事を考えるタイプであることを察知したようです)置いて行ってくれました。
なんていい人なんだろう! このパンが前田さんと私の深い絆を作ってくれたのです。
後に前田さんは東京編集部のスタッフとして巻き込まれ、東京編集部の2輪のひとつになって、よろよろと自転車操業を始めて行くのでした。
当時の私は雑誌『アメリカン・ブックジャム』 の東京オフィスで副編集長をしていました。そこへYBOKの翻訳者のひとり、前田美紀さんが 創刊号を編集部に直接買いに来てくれたのです。
そのとき前田さんがたまたま持っていたパンを私があまりにもひもじそうだったので、(胃で物事を考えるタイプであることを察知したようです)置いて行ってくれました。
なんていい人なんだろう! このパンが前田さんと私の深い絆を作ってくれたのです。
後に前田さんは東京編集部のスタッフとして巻き込まれ、東京編集部の2輪のひとつになって、よろよろと自転車操業を始めて行くのでした。
2010年12月31日金曜日
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